第19号 豊かなくらしと心の豊かさ
「あんちゃ、途中まで乗って行くか?」
通りすぎた車を止めて男の人が叫んだ。
小学校からの下校途中、急に降り出した雨の中を一人家路に急いでいる時のことであった。
びしょ濡れの私を助手席に乗せながら、「おまん。どこんちの子だね。」とその男性は、私にたずねた。
私が自分の家の屋号をいうとその人は、自分は一つ先の集落のものだと名乗った。
まもなく、私の家の近くまで来て私を下ろすと、その人は目的地へと去っていった。
私は、また家へと雨の中を駆け出したが、あれほど気になった雨がその時はあまり苦にならず、なにやらすごくうれしかった。
まだ自家用車がどの家にもあるという時代ではなく、道も砂利道で水溜りの多い頃であった。
◇
私は通う方向が同じため、交通費の倹約の意味もあって、朝は娘といつも一緒に出勤していた。
時間のゆとりのあるときには何度か学校の校門の前まで送ったこともあった。
ある雨の朝、急いでいる仕事もあって、娘を途中で降ろした。
あたりには、通学途中の生徒が沢山歩いていた。
しかし、娘は雨の日に途中で降ろされたことが大変不満のようであった。
◇
私たちは、ともすると自らのその時の状況が絶対的にどうかということではなく、相対的にどうかということで、幸せを感じたり、うれしかったり、あるいは不 満だったりするようである。
そしてその何気ない一つ一つの価値観の中で充実した日々を送ることができたり、争いやいさかいを味わったりしてしまう。
物が豊かになり全ての物が満たされれば満たされるほど争いの種も多くなり、豊かさを実感することはより難しくなるのかも知れない。
そうであるとすれば、私たちが今、より豊かな社会の実現に向けて行なっている努力とは、いかなるものなのであろうか。
また、今日もわからなくなってしまった。だが迷いながらも明日を見つめていきたい。